2020年4月1日のおさんぽ
今日は風が強い1日だった。
最近は天気が悪い日が多くて散歩したいができない日が多かった。
午前中は少し雨が降っていて今日も散歩ができないのかと思っていたけど、夕方になると止んで散歩の準備をした。
風も強く少し寒かったので今日はダウンジャケットを着ることに。
久しぶりにオアスロウ105を履いて足元はレッドウィング8875にしてお散歩をスタート。
散歩中は色々と考え事をするのが好きで、例えば、自分の人生でどうすれば幸せになれるのだろうと考えていた。
幸せになるためには、幸せ、嬉しいと感じることを積み重ねればいいわけで、なら僕が幸せに感じる瞬間、感じていた瞬間はなんだろうと考えていた。
結果、27歳の今の僕が考えた答えはこうだった。
幸せに感じる瞬間
- 空腹な状態から美味しいものを食べた瞬間
- 体の芯まで冷えている状態で入る風呂
- 散歩しながら考えごとをしている時
- 四季と時間の流れを感じながら歩んでいるとき
- 今、持っている革製品を手入れしてピカピカにしているとき
幸せに感じていた瞬間
- 人から愛されることを感じれた時
- 自炊をし大成功した時
- 自転車で海まで行って夕日を見ながらコーラグミを食べながら日記を買いていた時
こうやってまとめていると自分は幸せなんだと改めて気がつく。
しかし、僕は今は実家暮らしだ。
やっぱ一人暮らしして、お気に入りのキッチン用品で料理をして極めたり、大好きなファッションをしたりしたいんだけど、まだ、先が遠そうだ。
早く自律しなければいけないなぁ。そのために勉強してスキルアップせねば!
まぁ、そんなことを考えながら公園の前を歩いていたところ子供たち(10人くらい?)が追いかけっこをしていた。
微笑ましい光景でこんな寒い中よく走り回る元気があるなぁと思いながら歩いていた。
そこで気が付いたことがある。
『子供たちは純粋に楽しくて追いかけっこしているのに、大人になると何かしらの理由がないと走ることがない。』
よく考えたら、僕の小学校中学年の時は、とにかく走り回っていた。
何かあれば友人と追いかけっこをしたり、ドッジボールをしたりと純粋に楽しかったから動き回っていたのだが、高学年になってくるとすこしずつだがこういったことがなくなってくる。
この理由はなんなんだろうか?
大人になってきたからという言葉で片付けることができるだろうが、深く考えるとあまりちゃんとした理由がないような気がする。
もしかしたら、はしゃぎ過ぎたら先生に叱られるということを学習の結果走り回らなくなるってことなのだろうか…わからない。
今、こうして大人と呼ばれる年齢になってからというもの、楽しくて走り回ったりすることがなくなっている。
たとえ、走るにしても理由が必要になってくる
生活習慣予防のため、ダイエットのため、モテるため…大人になると理由が必要になる。
純粋に足しむことができなくなるのって悲しいね。
さて、まだ20代だ。なんでもできる。
30、40代になった自分でも下手したら60代でもなんでもできる。
楽しいと思えることを探し続けてそれに熱中できるようになりたい。
探し続けることが大事だもんね。
では…今から散歩を少しして他の記事の作成して読書したあと寝るぞ!
また明日!
ps そういえば小学校高学年の時の僕ってめんどくさがりで、昼休みも校舎裏の木や、登り棒の上で昼寝するような人間だったことを思い出した。
今の僕のそこまで活動的な人間でもないし面倒くさがりなのは変わらない。
人の内面ってそこまで変わらないもんだなぁって思いました。
以上