もしこの世の中の人間が管理されるようになったら
働くことが全ての世界
もし、僕がこの世に生を受けて物心がついた時に人間は働く生き物でありどんなに働いてもお金をもらわずに働くというのが当たり前という世界だったら僕は果たしてそのことに疑問を持つのだろうか。
その世界での教育と呼ばれるものは働き方や働くことの美徳など…違う世界から見た僕たちからすると洗脳だと思われるようなことが教育される。
仕事がよくできるものは出世をして権力を得られて、地位も名誉も与えられて皆に尊敬される存在になれる。
しかし対価であるお金はもらえることは全くなく体や頭が働く一生を延々と何が目的なのかもわからないまま死ぬまで働く世界。
そんな世界で僕は生を受けた時から大人は疑問を感じずに働いていて周りは何も疑わずに生きている世界で僕は果たして疑問を持つことをするのだろうか。
働いて賃金はもらえないが、地位や名誉はもらえる…地位や名誉があれば女性に尊敬されてモテて子孫を残すことができる。
そんな世界で生まれていたら疑問に持つことが果たして僕にはできるのだろうか?
管理社会
もし世界が一部の人間やまたはある一族の謎の目的の達成に人類が管理されていたらどうなるだろうか?
凡人はその働くことに何も疑問に思わずみんなが働いているから働いている。
努力して働いて、自分の地位を上げて少しでも魅力的な異性と子孫を残す目的なのだ。
仮に、働くことへの疑問を持って周りに相談したとしても凡人には理解されない。
理解されないだけではなく、非難されるか、諭されるかもしれない。
「みんなこうやって生きているんだよ。お前もそうすれば幸せになれるよ」っと。
最近考えることなのですが
もし今生きている僕たちが上記のように物凄く頭のいい人間がいて管理されていたらどうなのかと考えることがある。
一定数の労働を任せられて、健康的で美味しい食事や快適な住居や清潔な衣服を与えられて子孫を残すことができる世界。
設定自体はあまり固まっていないのですが、上にも書いた通り生まれて物心をついた時から世界はそのように回っているものだと教育されていれば僕はその世界では幸せに暮らせるのではないだろうかと思えるのだ。
誰かが管理していてそれを僕が生まれる前の人たちも植え付けられて教育されていたらそのことについて疑える自信がないのだ。
なぜこの記事を書いたのだろうか?
それが正直わからないのです笑
無職になって少し考え事をしていてこんなことを思いついたのかもしれません。
働いていた時は、自分と向き合う時間も少なく想像や妄想といったものをすることが少なかったのですが今は腐るほどしてしまいます。
それゆえにこんなおかしな記事を書いてしまったのかもしれません。
しかし、ここで考えてしまうのが、無職ゆえにこんな何を言いたいかわからないような記事を書いてしまっていますが、これが僕が職を失って想像したから書けた文章であり、想像する時間がなければこのようなことは書けませんでした。
想像から創造につながるものであり、革新的アイデアと呼ばれるものは思考の連続で生まれるものです。
それなのに豊かになった現代社会人は時間に追われて、考える暇もなく働いているのに将来への不安などを感じて生きているというのはなんなのだろうか?
こんなに世の中不安を感じる人がいるのなら、上記のように誰かが人類を管理して、ギブアンドテイクで労働を受け取るかわりに幸福を与えれば大半の人は幸せだと感じた人生を送ることができそうだ。
だって、その人たちは思考力は奪われて働くことを頑張れば幸せになれると信じているしそれを実現しようと頑張るのだからね。
幸福を感じるのは所詮、脳内物質だ。
なら、それを感じれるホルモンや脳内物質が分泌するものが出るような栄養素を餌に混ぜていればみんな幸せに感じれる。
全員というわけではもちろんないですが、管理されて幸福を感じる人たちもいると思うのだ。
さいごに
少しわけのわからない記事を書いてしまいましたが、僕は病んではいないと思います。
食欲はあるしなるべく運動をして気分が落ち込まないようにしています。
はやく目標を見つけて全力で頑張りたいなぁ。
では!